そらごとそうこ
ここは、戦.国.無.双.2 (戦.国時代)の二次創作メインサイト。 ナチュラルにほもを含みます。苦手な方は、急ぎ足でどうかお逃げ下さい。気分を害されても責任もてませぬ。(携帯から見ると画面が多少おかしなことになっているかもしれません。←ご指摘頂けると幸い) なお版権元さまゲーム会社さまとは関係ございません。全て萌え故の妄想でございます。
2008'10.04.Sat
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お題でさこゆき。
に、入る前のプロローグ的なもの。
…しかし、ブログにもってくると長いですね;
author : hiyuki 2007.07.16 |
00.
武田にいたころの幸村の仲はどうだったのかと問われると、険悪とまではいかないが、少なくとも好かれてはいなかっただろうと左近は思う。
もっとも幸村から向けられる敵意は、殺伐としたようなものではなく、あくまで苦笑い程度ですませられるようなものだ。
そう、いうなら――、
幸村は、お気に入りの玩具を取られて拗ねる『子供』で。
左近は、意図せず取り上げてしまった『大人』だった。
年が離れていたせいもある。立場が違っていたせいもある。信玄公に対する心のもちようが、幸村と己では遠く隔たりがあったせいもあろう。
そのころ武田信玄が臣・山県昌景に属していながらも左近は、公の軍略を学びたいという心づもりもあって、それは頻繁に公の側に侍っていたのだから…
――そんな様々な理由があって、幸村は左近のことを気に入らなかったのだ。
はじめは単純に、公の傍らを取られ拗ねているのだと思った。
だがあることをきっかけに、(ああ、それだけではないのか)と左近は知ることになる。
思う以上に、幸村は聡い子供だったのだ。
そして、それが二人にとっての、大きな壁であったらしい。
――それに気付いたときから、左近は、幸村のことを気にかけ始めた。
なぜ自分を特に気に入らぬと思うのか、その理由を問うてみたくなったのだ。
たしかに、信玄公に盲目的なまでの忠をそそぐ幸村からしてみれば、左近のような将は気に入らぬだろう。
だが、なにも左近だけがそうだったわけではない。
むしろ幸村のように一心不乱な男のほうが、希有だったように思う。
なのにどうして、そのなかでも特に左近を嫌ったのか…
その、理由がなぜだか気になった。
しかしながら、そのあとも、二人の間に特別何かがあったわけではない。
左近から気まぐれに話しかけることはあっても、幸村の態度はあくまでそっけないもので――
時折幸村が子供のかんしゃくのような怒りを左近に向け、口げんかをすることくらいはあっても、酒を飲み交わしたことも、互いについてを語ったこともない。
肩を抱いたこともない。
……視線があうことさえ、少なかった。
そうするうちに信玄公が病死し、左近は武田を去った。
そのときに、幸村と自分をつなぐ糸はもはや切れただろうと左近は思った。
もはや、幸村に会うこともあるまいと…
なぜだかは分からないが、そんなふうな奇妙な確信が、己にはあったのだ。
――なのに。
「ああ、左近。俺の友を紹介する。――真田幸村だ」
信玄の死後武田から離れ、幾つもの年月を経、それこそ幸村のことさえ記憶の片隅においやりかけたころになって、
ふたたび左近は、幸村と出会った。
「……って、幸村か……?」
「……し、まどの…」
主君である石田三成の、その友として――…
三成によって左近に引き合わされた幸村は、まさか己と再会するとは思わなかったのだろう。
みるみるうちに目を見開きしばし固まった後、
「……お久しぶりです、島殿…」
やや、ためらいがちにそう口にした。
視線があわさったのは、ほんの一瞬のことだけだった。
幸村はすぐに丁寧なしぐさで頭をさげ、次に顔をあげたときはもはや左近のことを見ようとはしなかったからだ。
けれどそれは、武田でともにあったころのように、左近を気に食わぬとしてそらされたものではなかった。
なぜだといわれても、はっきりとは分からない。
――お久しぶりです…、
そう、口にしたときの幸村の表情が伏し目がちで、しかしどこかいまにも泣き出しそうな、そんな笑顔を口元に貼り付けていたからだろうか。
それとも、
――島殿…
数年ぶりに耳にした、幸村の声。
それが未だかつて幸村から己にかけられたことのない、遠慮がちなものだったからだろうか……
ただ、ひとつだけはっきりしていることはあった。
どちらにしても、おかしいほどに左近は――、
その声に触れた瞬間の痛さを、いまも忘れることができないでいるということだ。
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