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そらごとそうこ

ここは、戦.国.無.双.2 (戦.国時代)の二次創作メインサイト。 ナチュラルにほもを含みます。苦手な方は、急ぎ足でどうかお逃げ下さい。気分を害されても責任もてませぬ。(携帯から見ると画面が多少おかしなことになっているかもしれません。←ご指摘頂けると幸い) なお版権元さまゲーム会社さまとは関係ございません。全て萌え故の妄想でございます。

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さみしがりな君へ5のお題   配布元
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より、お借りしています。

幸村に墜ちていく左近の話です。


- さみしがりな君へ5のお題-
author : hiyuki   2007.07.26




02.



 あの日夜露の寂しさが染みついた衣は、
 しかし朝焼けとともに、何事もなかったように渇いてしまったのだろうか。






-怖がらないで、
   甘えてごらん-







  ――あの日の夜、幸村と二人言葉を交わし、この腕に抱いて熱を分けたことは、まるで一夜の幻のようだと左近は思っていた。
 それほどに、二人の間柄は以前とまるで変わらなかったからだ。
 幸村は、三成を訪ねて頻繁に屋敷を訪れはするものの、
「お邪魔しております、島殿」
「ああ、幸村殿ですか。ゆっくりしてってください」
 と、左近に対しては、他人行儀なままであるし、左近もまた幸村と顔を合わせるのは三成の前だけだったので、あくまで一歩引いたような態度をくずさなかった。
 だから、二人の間が縮まらない理由は、もちろん左近のほうにもあるのだろうが……、とはいっても、急に親しみを見せるのも早計だといえば、早計で。
 なにしろ、あの夜幸村と二人きりで話してみて分かったことと言えば、あいかわらず彼が左近を好いてなどいないということと、彼はまちがいなく長篠の虚にとりつかれているということ。
 そして、ほんのわずかに、左近が生きていて嬉しいと思っていてくれていることくらいなのだ。
 それは同時に、左近が『生きて』いたことのみが重要であって、別段幸村にとって、左近と親しくすることや、言葉を交わすことなどは必要としていないという意味合いをももっていたように思う。
(そうでなけりゃ、幸村のほうから話してくるだろ)
 左近はその実、面倒くさがりだった。
 だから幸村から、いまの関係を変えたいと思い行動してこない限り、己からは何を起こす気もなかったし、それでいいとも思っていた。
 しかし――

(なんか、気になるんだよな…)

 左近は、己の後ろで三成と談話している幸村の声に、ふと耳を傾けていたことに気付いて、小さく苦笑した。
 ついさっきまで、左近は、三成と二人同じ室で、ともに急ぎの政務を片づけているところだった。
 そこへ幸村が、茶菓子を土産にやってきたのだ。
 三成が、特別お気に入りの幸村をすげなく追い返すはずもない。そうして、はや半刻ほど、彼はここに居座っているというわけだ。
 いや居座っている…、というのは言葉が悪い。
 さすがに政務中であることをはばかって、幸村は早々に退室しようとしたが、それを『休息も必要だ』とのたまって、三成が引き留めているだけなのだから……
 幸村がからむと、三成は左近の意見などまるで聞き入れようとしない。
 ――と、いうことをここ最近の経験で悟った左近は、もうしばらくは好きにさせておくことにしている。
(ま、あと半刻くらいしたら、本気で政務に戻って貰わないと困るんですがね。……まったく、殿も幸村にずいぶん懐いちゃって、まあ…)
 いったい、幸村のどこがそんなに気に入ったのかと、左近は疑問に思う。
 しかしながら、大坂城内の噂からしてみても、幸村には人を惹きつけるような”何か”があるのだろうか。評判もいい。それは確かなことだった。
 ――それに、左近だってそうだ。
 現にいま、幸村のことが気になってしょうがないでいる。 
 幸村から嫌われているのは彼が小さなころからのことだったし、とっくの昔にしょうがいないと諦めていることでもある。
 だから今更、好かれたいと思っているわけでもないくせに、なぜか己は、気がつけば幸村のことを目線で追っているような気がしてならないのだ。
 目で追えないときは、耳で。
 声さえないときは、気配を。
 それこそまるで、懸想した女を追うように、ふとすると幸村のことを気にしている己がいて、左近はここのところ、ほとほと困り果てていた。
(案外、俺も懐かしいのかね)
 幸村に懸想している、というのは左近的にはまずあり得ないことだったので、ともかくその理由を探ってみようと頭をひねる。
 第一に考えついたのは、彼がそうであるように、己も幸村に武田時代の思い出を見ている――、ということだった。
 だがしかし、べつだん武田が思い出深い場所…、というわけでもない。
 それこそ、武田にいた時期など短いものだった。忘れられないという言葉がぴったりくるとしたら、むしろ筒井家にいたころのように思う。
 ではやはり、左近が気にしているのは彼自身であるのだ。
 どこか、危なっかしいとは思う。
 目を離すとどうなるか分からない、という不安もある。
 だが左近が四六時中幸村に張り付いているわけではない。顔を合わせることだって、月に数度あればいいほうだ。
 それに、いまこうして三成と話している幸村は、実に楽しげで、あの夜左近がかいま見た、虚ろな感じもまるでない。
 だから、なにも左近が心配などしてやらなくとも平気だろうと思うのに……
(いや、まてよ。俺が幸村を気にしてたのって、武田のころからだな)
 ふと、既視感を覚えた。
 いつだったか、いまと同じような目で、幸村を見ていた時期が己にはあったのではないだろうか……
 それこそ、武田にいたころだ。
 やたらと大人によくなつく幸村が、なぜか己にだけは懐いてこなかった事が気になって――、己を嫌う理由を聞き出してやろうと、幸村という存在をいつも思考の端にとどめていた。
 そのときと、いま幸村に寄せる感情は似ている。
(思い出せ。なんで、幸村のことが気になりだしたんだ? べつに子供から嫌われてようがどうでもいいころだろ)
 左近はちょっと、必死になった。
 己は子供好きではない。だから、むしろべたべたとまとわりついてこられないほうが、ずっと良かったはずだ(それでも結局は面倒見がよく、子供の遊び相手にされていたものだが)。
 幸村のほかにも、左近に懐いていない、元服前の子供はいくらかいた。そいつらのことは、もはや記憶にもあまり残っていない。
 では、なぜ。
 どうして、幸村だけが”特別”だったのか――…、
 すると、声がした。

「おい、左近。茶が切れた」

「…………」
 左近は、一瞬思考を止めた。
 しかし、
「いや、しかし、ろくに喋ったこともないだろ、となると……」
 と、すぐに考えを再開させる。
「おい」
「あ、いや、一度だけそんな機会があったか? しかし思いだせん…」
「おい」
「しまったな。俺ももう歳か」
「――いい加減俺の返事をしろ! 左近!!」
「…………」
 左近は、ため息した。
 腕を組んで考える格好をしたまま、状態だけを三成のほうへ向ける。
「なんですか、殿」
 三成は、かなりご機嫌ナナメな顔で、左近にずいと湯飲みをつきだしてきた。
「茶が切れたと言っている。いれてこい」
「なんで左近なんですか」
「さっきから、おまえがぶつぶつとうるさいからだ(幸村との話に集中できん!)」
 左近は、目の前に突き出された湯飲みを手のひらでぐっと押し返し、
「左近はいま大事なことを考えてる途中なんです。あと一息で思い出せそうなんで、どうか邪魔しないでくれませんかね(というかいまは政務中でしょう)」
「なんだと(幸村が来ているのだ。仕事などできるか)」
「それにお茶くみは、左近の仕事じゃありませんよ。(いい加減してくださいよ。そろそろ一刻たちますよ)」
「俺は茶の味にうるさいのだ(幸村といるのだぞ。一刻では足りぬ!)」
「では、ご自分でおいれになってはどうですか(その一刻が惜しいと、昨日の夜中呟いていたのはどなたですか)」
「それはできん。幸村を一人にするつもりか(ふ、甘いな。昨日は昨日、今日は今日だ。今日の俺は活力にあふれているのだよ、左近)」
「一人じゃないでしょう。左近がいます(では、いまこっちにある仕事を殿にお願いしてもいいですかね。……というか、これもともと殿の仕事でしょう)」
「おまえなど数には入らん(何を言う。ふっ、俺の仕事はおまえの仕事だ、左近)」
「はあ…、そうですか(……絶句)(お願いですから、お茶ぐらい自分でいれてきてください! 左近は動きませんよ!!)」
 ……と、声に出す言葉とはべつに、目線だけで、左近は三成といくつか言葉のやりとりをした。
「む……」
 いつになく、頑固な左近に三成の眉間にシワがよった。
 そして、これ以上言っても無駄だと悟ったのか、「あとで覚えていろ左近」などとなにやら恐ろしいことをぶつくさ呟きながら、部屋を出て行こうとする。
 その背に、あわてたように幸村が言った。
「あの、三成殿。これ以上お邪魔しても申し訳ありませんし、私はそろそろ……」
「気にするな。俺がもう少し茶を飲みたいだけだ。それとももう帰りたいのか?」
「い、いえ、そうではなく……」
「では、大人しく待っていろ。すぐ戻る」
 三成は、左近にひけらかした本音とは裏腹に、澄ました顔でそう言い部屋をあとにしていった。
 その、背が完全に見えなくなってから、
「……申し訳ありません。いま、お忙しいのでしょう」
 三成に向けていたものよりも、やや固い声で幸村が言った。
「あー…、ま、ちょっとな。だが、あんたが来ると殿のやる気が補充されるんで、同じようなもんだ」
「……すみません」
 幸村は、左近の言った意味がよくわからなかったのだろう。
 少しばかり困ったような顔で、再度謝った。
 そのあとしばらくは、特に会話もなかった。
 左近のほうはそうでもないのだが、幸村が左近を苦手にしていると思うと、自然と言葉もかけづらくなる。
「あの、やっぱり、もう……」
 すると、やはり幸村のほうでもこの沈黙を気まずく思っていたのか、大変に恐縮した様子で帰宅の意を示そうとした。
 そわそわと落ち着かないようすで、立ち上がろうとした幸村を、左近は引き留める。
「すまんが、せめて殿が戻ってきてからにしてくれないか。でないと機嫌が悪くなるんでな」
「あ……、はい。そうですね、すみません」
「あんた、さっきから謝ってばっかだぞ」
「え、そ、そうでしょうか?」
 左近は手にしていた筆を置いて、改めて幸村を振り返る。
 幸村は、ちょうど座り直そうとしてたようで、ゆっくりと片膝をついて、いつものように正座の姿勢を取ろうとしていた。
 その、一瞬、ふいに幸村の顔が苦痛に歪んだのを、左近は見過ごさなかった。
「……幸村、足、どうかしたのか」
「えっ」
 とつぜん指摘されたことで驚いたのか、幸村はびくりとして姿勢をくずした。そのことで、痛めているほうの足に体重をかけてしまったのだろうか。今度こそはっきりと、幸村は、
「いたっ……」
 とわずかに声をあげて、きゅうっと眉を寄せた。
「足首か」
 すかさず、左近は幸村のぞばまで寄っていった。支えきれずに尻餅をついてしまっている幸村の両足を、ぐいっとひっぱる。
「あ、の! 左近殿」
「……ずいぶん、腫れてるな」
 幸村はあわてて、左近の手を引きはがそうとした。だが、怪我をしていると知ってしまった以上左近も引けない。
 袴の裾を押し上げて調べてみれば、案の上幸村の左の足首がひどく腫れていた。おそらくねんざだ。
 左近は思わず、舌打ちしたくなった。 
(ったく、こんな足でずっと正座してたのかよ)
「じっとしてろ」
「あの、たいしたことはありませぬ。痛みもそれほど…、いっ!?」
「ほら、痛いんだろ」
 左近は、腫れているほうの足先を軽く押した。それだけで、幸村はびくっと体を跳ね上げ、歯を食いしばる。
「何で言わなかった」
「……見た目ほど酷くはありませんので、帰ってから治療をするつもりで」
「あんた、阿呆か」
「あ、阿呆って……」
「もう、いいから。手当するぞ」
「いえ、そんなわざわざ…!」
 ばれてなお、強情な幸村に、左近は肩をすくめた。
「いいから。大人しくしてな。俺に触られるのは嫌だと思うがね、ちょっとくらい我慢してくれ」
 と、言って薬箱を探してくると、次は手早く手ぬぐいを井戸の水で濡らしそれを幸村の腫れた足に押し当てる。とにかく、冷やさなければ。
「……いつ、捻った」
「ここに来る途中で……、あの、転んで」
「転んだ?!」
「西の空が薄曇りでしたので、雨でも来るかと。そうしたら、足下の石を踏んでしまって」
 左近は、あきれた。
 どうやら、ぼんやり空を見て歩いていたせいで、こけたらしい。
「……そういえば、昔も同じような理由でよくこけてたな」
「わ、私はもう子供ではありませぬ」
「こんな怪我しといて、よく言うぜ」
「う…」
 自分でも恥ずかしいという自覚はあるのか、幸村は赤くなって俯いた。
 そうした仕草は、どうしようもなく子供っぽく、左近には見えた。
 あのころから数年がたち、たしかに幸村は背も伸びたし、体つきもしっかりとしたし、頭の中もそれなりに大人になったのだろう。
 しかし、やはり、左近からしてみれば彼はいつまでたっても、幼い子供のようにしか思えない。
(まったく、変わらん奴だ)
 あのころにはなかった影をしょってしまってはいるが、やはり根本的なところは何も変わっていないのだろう。
 こんなふうに、立つことさえ辛いだろう怪我をしているくせに、それを一言も出さず、さらには顔にも極力出さないようにして、気取られないようにして、
 まわりに気を遣うことばかりに長けた、子供……
(まてよ…)
 そう思って、そのときふいに、左近ははっとした。
 目を見張りたくなるほどの既視感が、また、左近に襲いかかってきたのだ。
 いつだったか同じことを、己は思わなかっただろうか。
 そう、いまよりもずっと昔、
 左近がまだ武田家に世話になっていたころの――


『どうした、幸村』
 あるとき左近は、城下の路地裏でしゃがみ込んでいる幸村を見つけた。
 じっと蹲ったまま、何かを思案しているのか小難しいような顔をしている。
『し、…ま、どの……!』
 まさか左近が声をかけてくるとは思わなかったのだろう。幸村は心底驚いた、というふうに顔を上げ、しかしすぐに、
『ありを、みていたのです』
 と、何でもなさそうな口ぶりで、ふいと左近から視線を逸らして言った。
『蟻?』
『はい』
 なるほど、たしかに幸村の足下には一匹の蟻がいる。
 しかしその蟻はどうにも奇妙な動き方をしていた。よろよろとしている。弱っているのかと思ったが、どうやら足が数本半ばから折れてしまっているせいのようだ。
 子供というものは時折、無邪気に残酷なことをしでかす。
 まさか、幸村がやったのか。
 そう思って左近はまじまじと彼を見つめたが、蟻を見つめる幸村の横顔は可哀想だとでも言いたげな、憂いのあるものだった。なのですぐに(違うな、たまたま見つけただけだ)と、左近は悟った。
 だが、足の無くなった蟻など、すぐにでも死んでしまう。このまま弱って死ぬか、あるいは他の虫に食われるか、人に踏みつぶされるか――、
 どちらにせよ、もう生きながらえる方法はない。
『なあ、幸村。だからって、いつまでも見てたって仕方ないだろ』
 一瞬、そんな言葉がのど元まででかかった。が、さすがにそこまでは口にだせず、左近は遠回しに、幸村を蟻から遠ざけようとした。
 しかしそれは、今から考えてみればそれは、あまりにも彼というものを分かっていなかった発言だったに違いない。
 その証拠に幸村は、こくりと頷き、
『わかっております。このありは、もうすぐ死ぬのでしょう。ならば、せめて死ぬところをみとどけようと思ったのです』
『は……』
『もう、だいぶ弱ってきました。わたしには、何もできませぬ』
 と、意外にも、現実をさらりと口にしたのだ。
『ですから、せめて』
『そうか……』
 左近は、虚をつかれたような心地だった。
 そして知った。
 どうやら幸村は、己が思うほど子供ではなく、そして蟻ごときに情けをかけられるような、武士の子息としてはあまりにも優しすぎる奴なのだと……
 ――しかし、その優しさに引きずられて、現実から目を背けるということもしない。
 なんとも、かわいげのない。
 やっかいな子供だと、左近は思った。
 そして同時に、この聡すぎる子供が、果たしてどのような大人になるのか――、己が案じてもどうにもならないことが、ふと心配になった。
 蟻が可哀想だと、ただ同情をみせるだけの子供だったなら、せめて何かしらかけてやれる言葉も見つかっただろうに……
『……おまえの言い分はよくわかった。だがな、もう日が暮れる。真田の家の者たちが心配するだろう。だから帰れ』
 だから左近にできたのは、いつまでも動こうとしない幸村の、感傷をたちきってやることくらいだった。
『それは、』
『気になるなら、俺が代わりに見ておいてやるよ』
『……しまどの』
 幸村は、心底困惑しているような顔で、左近を見上げた。まさか左近が、そんな事を言い出すとは思いもしなかったに違いない。
『ほれ』
 蟻の傍らにしゃがみこみ、行った行ったと手をひらりとさせる。
『…………』
 けれど、幸村はぴくりとも動こうとしなかった。
『……幸村?』
『わたしは、だいじょうぶですので。あとすこしだけ。しまどのはお戻りになってください』
『だめだ』
『ですが』
『ほれ、行きな』
『あっ……』
 あまりにも強情な幸村腕を、左近は力づくで引っ張り上げて立たせようとした。
 だがその瞬間、そんな幸村の顔が、痛みから泣き出しそうに歪むのがわかった。
『おまえ…』
 わざと、立ち去ろうとしなかったわけではない。立ち去れなかっただけだ。
 ――幸村は、足をくじいていたのだ。
『言えばいいだろうが』
『いえ、ひとりで、かえれますから。だいじょうぶで』
 わたわたと、すまなさそうな顔をする幸村に、左近は、
(あー、もうしゃあねえ)
 と嘆息し、小さな幸村の体を、ひょいと背中に背負ったのだった。
 とたんに、幸村は暴れ出す。
『や、やめてください! おろして!!』
『恥ずかしいことないだろ。怪我してたら仕方ないだろうが』
『い、いやです! しまどは……』
『あー…、わかったわかった。俺が嫌なわけな。じゃあ、もう近寄らないようにしてやるよ。ただし、今日だけは我慢しろ』
 左近は、ちょこっとだけ、悲しくなった。
 己に懐いてこない、ということは知っていたが、どうやらやはり、心底嫌われていたようだ。
(何もしてないんだがねえ…)
 嫌みなことを言った覚えも、きつくあたった覚えもないだけに、さすがの左近もしょんぼりする。いまはじめて、幸村から嫌だと口にされたからだろう。
 このころは、さすがにまだ、幸村から嫌われることに慣れてはいなかった。
『で、何で、くじいたんだ?』
 しばらく歩き出すと、いい加減幸村も観念したのか、大人しくなった。それを見計らって、左近は聞いた。
『……くもを、みていて』
 幸村は、やや恥ずかしそうに言った。
『雲?』
『はい。棒にからまった水あめのようなくもが、あっちに浮かんでおりました』
『くっ……』
 左近はたまらず、ふきだした。
『くっ、はっはは、水あめ、ねえ…』
『わ、わらわないでください!!』
『いや、子供らしくていいじゃねえか』
『わたしはもう子供ではありませぬ。もうじき元服いたします!』
『もうじきって、あと二、三年はあるだろうが』
『う……』
 左近は、よっこいせと幸村の体を抱え直す。
『子供は子供らしくしてろよ。そのほうがいいぞ』
『……よいことなど、ありませぬ』
『なんでだ?』
『力が、足りませぬ。腕もまだまだです。ちちうえのように、よいぐんりゃくを立てることもできませぬ』
『それは、おまえはまだ子供なんだから、あたりまえだろう』
 左近の背中で、幸村はふるふると激しく首を振った。
『わたしは、いやでございます。早くちちうえの、おやかたさまのおやくにたちとうございます』
『急いでもろくなことはないぞ』
『それでも、いやなのです』
『……それで、足くじいてたことも言おうとしなかったのか? 俺以外にも、誰か通っただろうが』
 一見そうは見えないのに、幸村は頑固なのだと左近は思った。
 幸村が蹲っていた場所は、たしかに通りの真ん中というわけでもないが、誰も来ないという場所でもない。
 足がいたいと、素直にすがればいいのに、この子供はそれすらしなかったわけだ。
『このようなけがで、ごめいわくをかけるわけにはいきませぬ……』
 ぽつり、と幸村は言った。
(ああ、やっぱりそうか)
 その呟きで、左近は確信した。
 己のことを並の子供以上にふがいないと思っている幸村は、誰かに甘えることすらよしとしないのだ。
『それに』
『ん?』

『もしもこれが戦場なら、わたしはありとおなじではありませぬか』

 その瞬間、左近は足を止めた。
 彼が何を言いたいのかが、分かってしまったからだ。
 ――足を失った蟻は死ぬ。それが道理だ。
 戦場で動けなくなった将は、討たれる。それもまた、道理だ。
 だから幸村は己一人の力で家に帰り着くための方法を、必死になって思案していたに違いない。
 あんなふうに、子供には似合わぬ小難しい顔をしながら、
 蟻を、見て。
 ――ひとりで。
『……戦場でも、俺がおぶって逃がしてやるよ』
 びく、と幸村の肩が動いた。
 顔ごと左近の背中に押しつけるようにして、
『うそです』
『え?』
『しまどのは、いつもうそばかりおっしゃる。あなたは、わたしを助けにきてなどくださいませぬ』
 ぐぐもった声が、背中からゆっくりと左近の耳に伝わってきた。
(幸村……)
 それは、きっぱりと左近のことを拒絶する言葉だった。
 なのに幸村の小さな手は、まるですがりつくように左近の衣を強く握りしめている。
 これはなんだ、と左近は思った。
 わけがわからない。
 おまえはいったい、俺にどうしてほしいって言うんだね。嫌っているくせに、言葉一つ信じようとしないくせに、

 どうして、俺の手を離そうとはしないんだ。


『……なあ、幸村』
『…………』
 幸村は、黙ったままだった。気にせず、左近は続けた。
『ひとつ、聞きたいんだが』
 左近は背中の幸村に、すっと視線を合わせて言った。
『……あんたが俺を嫌ってるってことよーくわかったんだがね。理由はなんだ』
『そ、れは』
『べつに、言いたくなきゃそれでいいがね。……生理的に嫌いだって言われたらさすがにへこむ』
『ちがいます! わ、わたしは…っ』
 幸村は、あせったように左近の背で身をよじった。
『何だ、ちゃんと理由があるのか』
『それは、しまどのが……』
『俺が?』
 幸村は言った。
 それは、左近が思ってもみなかったもので、

『それは、しまどのが――、       …から…… 』

 その瞬間、左近はぎくりと体を強ばらせた。
 夕暮れを報せる虫の音が、その瞬間、どこか遠くのほうで聞こえているような気がしていた。
 左近はそれ以上何か言葉を紡ぐことさえ、できなかった。
 ただ、柔らかい夕日だけが二人の影をぴたりとひっつけて、長く、長く伸ばしていた。
 まるで、二度と離れることが無いとでも、祈るように……


 ――遙か昔の記憶を思いだし、左近はようやく悟った。
 己が幸村のことを気にかけ始めたのは、あの、夕暮れのひとときに、今はもう思い出せない一言を耳にしたせいなのだ。
「……なんて、言った」
「え…?」
「あのとき、あんたはなんて言った」
 胸の奥底のほうから、何か熱いものがこみ上げてきていた。
 それに押し出されるように、左近は急いで言った。
「あっただろ。昔、あんたが同じように足をくじいて、俺が運んで――」
 早く、早く知りたい。
 なぜかは分からないけれど、まるで戦場で吉報を待つときのように、心の中がじりじりとしていた。
「あ……」
 幸村は、一度口を開きかけ、
「…………」
 しかし、すぐに閉じてしまうと、そのままじっと黙り込んでしまった。
「幸村」
 焦るように、左近は促す。
「す、みません。そのことは、覚えてなくて……」
「……そうか」
「はい」
 幸村は左近の視線から逃れるように顔を逸らし、俯いた。
 ほんとうに覚えていないのか、それとも昔のことなど思い出したくもないのか、それすら左近には分からない。
 しかし覚えていないと言われてしまった以上、もはやこの上さらに問いつめることもできそうにない。
「ですが、どうして突然そのようなことを」
 幸村は袴の裾をぎゅっと握って囁いた。
 奇妙に、何かを思い詰めたような声だった。
(ああ、そうか)
 おそらく、これは幸村のくせなのだろう。何かの答えがほしいときや、ひどく感情が高ぶったとき、彼はこのように衣を強く握りしめるくせがあるのだ。
 まるでその心が、袴と同じようにくしゃくしゃになっているとでも言いたげに。
 左近は、そん幸村の手を、袴から引きはがした。袴の代わりというように、ぐっと握りしめてやる。
「島殿……あの、」
 幸村は戸惑いを見せ、逃れようとしたが、左近は離してはやらなかった。
 ああもう。
 縋りたいのなら、直接この手にすがってくればいいのだ。

「……いまのあんたがね、あのときと被って見えたんでね」
「っ…、島殿は、私をいつまで子供扱いなされるおつもりですか!」
「仕方ないだろう。子供のときと変わってないんだ」
「たしかに、足をくじいてしまったのは不注意でしたけれど、なにも昔のように頻繁に転んでいるわけではありませぬ」
「いや、そこじゃない」
「へ? なら、いったい何が……」

「――あのころと変わらず、甘えることが怖いってところだ」
 
「え……」
 左近は、空いた手で幸村の頭に手を伸ばした。
 一瞬、びくりとし、逃げようとする。それでも左近は構わず、さらに手を伸ばして幸村の頭を、くしゃりと撫でてやった。
 さらさらした指通りのよい髪は、――ああ昔と変わっていない。
「なあ、幸村。たまにはさ、怖がらないで、甘えてみろよ」
「島殿……」
「そうしたら、もう子供扱いはしないでやるさ」
 ぽん、ぽん、とあやすように頭を撫でる。
 幸村は、頭に乗せられた左近の手に、こんどこそちゃんと縋るように手を伸ばしてきて……
「島殿は、ずるい」
 拗ねたような、子供の口調で言った。
「ああ、そうだ。俺はずるい大人だよ」
「む……」
「なあ、幸村。今度から何かあったらちゃんと言え」
「ですが」
「黙ってられるほうが、迷惑だぞ」
 武田にいたころ、左近は、幸村に何一つそのときに相応しい言葉をかけることができていない。
 それは、ついこの間幸村と二人きりで話した時もそうだった。
 だがしかし、幸村はまだまだ子供のようにしか見えなくても、もはやあのときのような子供ではない。
 そして己もまた、あのころとは違うのだ。
 立場も、いまの境遇も。

「わかったなら、帰りは送っていってやるよ。そのまま、一人で帰るのは辛いだろう?」

 うまい言葉は、今でもかけられないのかもしれない。
 けれど己が差し出せるのは、何も言葉だけではない。
 そう思えば、ただほんの少し、きっかけを作るくらいの一言ならこうもたやすく口にすることはできるのだ。
「う……」
 幸村は、耳まで真っ赤にすると、頭の上にあった左近の手をぎゅうっと強く握りしめてきた。そうして、頭の上から引きはがす。
 左近は、やはり断られるかと肩をすくめたが、しかし、
「わ、わかりました! ではお手をお借りいたしまする」
 どこか悔しそうに、しかし照れを隠しきれないと言った幸村の顔に、己の望みが叶った事を知り……
「その代わり、これからはもう、私を子供扱いはしないでくださいませ!」
「なんだ、それが嫌で、いままでまともに話しかけてこなかったのか」
「…………そうです!」
 
 ――左近はようやく、そのとき、再び出会った瞬間から、たしかに何かの時間が、二人の間では動き始めていたと知ったのだ。

 それは、けっして、幻などではなく。
 あの日ふれあった左近の衣には、たしかに、幸村の纏う水の残り香が移っていたのだ。




 そして、しばらくして。
 戻ってきた三成に、幸村の足を冷やしているところを目撃された左近は、
「な、何をしている。左近!」
「ああ、殿、これは……」
「幸村に手を出すとは良い度胸だな。……左近(鉄扇を開く)」
「ちょ、と、殿、誤解」
「朽ちるがいい!!!!!!!!!」
「ごふ□○×@%っ!?」
 ――そうして、空のお星様になったのだった。

 




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